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2011年2月27日 (日)

命を燃やす生き方がしてみたい。

昨晩、久しぶりにドラマを観ました。


最近は、殆どドラマを観なくなっておりましたが、

チャンネルを回していると偶然テレビ朝日で" 

遺恨あり "という歴史ドラマをやるというので、

暫く観ていると、ついつい引き込まれてしまいま

た。


この時期に何で・・・???

と思いながらも、確かに限りなく不透明に近い

ブルー時代を生きる者達には何かを考えざるを

得ないものがありました。


小説家の吉村昭氏の" 最後の仇討 "から脚

本を起こしたテレビドラマです。


明治維新の動乱の頃、筑前(今の福岡)黒田藩

の支藩である秋月藩(今の朝倉市)で起こった事

件です。


藩内では、維新の行く末を考え、藩がどの道を

選択するかで公武合体論や勤皇皇国など主張

が割れていた。


維新とは言っても依然江戸幕府で培われた気

風が強い時代でしたから、武士の意気地を全う

するのは武士にとって最も大事なことでした。


そんな折、藩の中でも世界情勢に明るい臼井

亘理(うすいわたる)は開国派であり、執政とし

て藩の舵取りをしていました。


九州の田舎藩の事ですから、旧態然とした慣

習やしきたり、武家の習わしに囚われた人間

にとって、何でも新しいものに傾いて行く体制

には我慢出来なかったことでしょう。


元々公武合体派であった亘理であったが、維

新により藩の将来を考えると勤皇皇国に付い

た方が良いと考え行動します。


それを快く思わない重臣達は、藩主に対し亘

理の行状を讒言し、追い落としを図ります。


これにより、藩主から疎んじられた亘理は京

都から秋月に帰藩させられます。


そこで彼を待っていたものは、帰りを祝して親

戚が開いた酒宴の未明に干城隊の闇討ちで

した。


これにより亘理は惨殺され、妻と幼い娘までが

ずたずたに切り裂かれ、惨い死に方をします。


偶々別室で就寝していた長男六郎は難を逃れ

ます。


そこから彼の復讐劇が始まるのです。


主君の命によって事件はお構い無

しとなり、仇討赦免状も出ないので

した。

彼、六郎10歳の時の出来事と言い

ますから、常人には計り知れな心の

傷を受けたと思います。


その後、彼は17歳頃まで秋月で育

ちます。


仇の一人、一瀬直久は、明治維

によって東京に上京してしまいます。


六郎は成長すると伯父を頼って上

京します。


そして偶然出会った山岡鉄舟に師

事し剣の腕を磨きます。


苦節10年、やっとの事で高裁判事

となっていた一瀬直久を黒田藩別

邸で討ち果たします。


と、ここで"北の国から"の黒板純役

の吉岡君が中江正嗣判事として登

場します。


彼は、土佐藩の郷士の出身で謂わ

ば、坂本龍馬と同じ出身という事に

なります。


此処から先の言いたい事は、後日

に回します。

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