目指すものは

2009年6月22日 (月)

お金の貯め方教えます。

お金は貯めようと思っても貯まるものでは有りません。
先ず、よ~く考えてみましょう。
月収20万円の人は、副収入など一切考慮しないで
考えれば、飲まず食わずでも20万円/月以上貯まる
事はありません。
で、あるならば、余計な事をしない、主食以外は食べ
ない、人との付き合いを絶つ、外に出ない。
トイレは公共、或いは公共に近いショッピングセンター
やデパート、オフィスビルのものを使用すると綺麗で
ウォッシュレットの付いたトイレが使える。
コンピューターなど持たず、極力会社のPCを利用する。
サービス残業に託(かこつ)けてアフターファイブで自分
の仕事をする。
飲みにも、遊びにも行かず、自分の趣味、仕事が出来
るので一石二鳥である。
遊び癖の付いた人にいきなりは難しいが、ここで考え方
の転換が重要になる。
今までの自分の人生を振り返って、これまでして来た事
に、どれ程の意味があったかを考えてみる。
これまで垂れ流して来た自分の稼ぎが、如何に無駄で
これからの自分にとって展望のないものであったかを
じっくり反省してみる。
人間一日24時間、会社にいるのが10時間として、睡
眠に6時間、通勤に2時間、自宅での休息4時間、その
他2時間と大雑把に考えても、今自分の家に有る物で
本当に必要なものは幾つあるだろうか・・・。
実に無駄で邪魔な物が多く存在している筈である。
つまり、1年の(少ない人でも)2/3は、会社と自宅の往
復に費やしているのである。
そんな殆ど無駄と言って良い時間にお金を費やす必要
は全く無いのである。
今、私は、少ない給料と小遣いの中で、コイン貯金をし
ている。
お札は、使い勝手が良いせいか、直ぐに羽が生えて飛
んで行くので、極力札を使い、出来たお釣りのコインを
全て貯金箱に入れてしまっている。
そして、その貯金箱を自宅に置かない事である。
会社に置いておけば、容易く使えないし、沢山貯まった
時、容易に貯金しに行けないからである。
特に一番貯まるのは、10円玉である事に気が付いた。
500円、100円は、貯まるのも遅いが、換金し易い事
も手伝って、なかなか貯まり難いのだが、10円玉は使
用し難く、換金と言っても莫大な数でないとたかが知れ
ているので、貯まる一方である。
現在私のデスクの上には、お菓子のブリキ缶が鎮座ま
しましており、その中には10円玉が数千個貯まってお
いでになる。
塵も積もれば・・・とは、正にこの事である。
お金を貯めるのは、全く性に合わないことなんだけれど
も、世の中に見切りを付けた今では、貯まっていく事さえ
気にならなくなって来ている。
皆さんも一度良く考えて挑戦してみて下さい。

2006年7月 6日 (木)

能力って、才能ってなんですか

昔から良く言われてきました、理想家だと・・・!?

でも理想が無いのにみんな何処に向って歩くんでしょうね。

理想とは、個人的な現実の夢とは違い、地球上で生きる人間が、宇宙も含めて大自然と言う偶然と必然の混沌とする漠然世界で、今や地上最大の力を持った人間が地球全体を考えた時どう関わりどう生きて行くべきかという考え方なのである。

ずっと以前から、例えば政治家が選挙に立候補し、自分の主義主張を持って、具体的な政策について訴える時、恐らく多くの選挙権を持つ人々が感じるのは、結局日本という国に住む人々がどう生きて行く事が、その政治家にとって最も理想的だと考えているのか全く判然としない事だと思う。

全体として、日本人という範疇に限定して考える時、日本の歴史の流れが生んだ人々の社会生活の歪みを、どの方向に立て直すかがはっきりしないまま、政策やら主義主張を論じられても、単に選挙に勝つ事を前提にしか考えていないのではと勘ぐられても仕方ない事である。

話しが逸れるだけ逸れてしまったので、ここで本題の能力とか才能について話を戻しますと、最近中高生のやり場のない怒りがとんでもない犯罪と化して社会問題になっている。

先日の奈良で起きた高校生の実家焼き討ち事件にしても、彼の気持ちは痛い程良く解る気がするのです。

人には、持って生まれた能力や才能や性格があり、これらは自分自身だけの力ではどうする事も出来ない業のようなものです。

幼少期から逸材(普通の人達から評価を受けた)と目され期待を一心に集めた人が必ず大成するものでもなく、生まれつき凡才と言われた続けた人が必ず凡才のまま終わらないという事実は長い歴史が証明しています。

好きこそ物の上手なれと言う言葉が有りますが、全くその通りで、本当に好きな事を見つけて努力し続ける人というのは、何れ大成する可能性をより多く持っていると言えるでしょう。

私などのように、努力するという事が何よりも嫌いな人に、どれほど努力する事を押し付けても上手く行かないのと同じで、人には天賦の才(人として持って生まれた物)が有りもし真逆の試練を押し付けられたら背負い切れない重荷になると思いませんか。

人として生まれた先人には、後から生まれてきた人々を導く義務があり、その先人達がまともな教育(人として生きるとは)を受けられなかったとしたら、不幸の連鎖が続くことになるでしょう。

彼が供述の中で述べているらしい、父親への尊敬と愛情は何処か引っ掛かるものが有ります。

彼のためを思って父親が厳しく躾たと思うと言っているようですが、彼のためとは一体何なのでしょうか、自分が医者だから自分の跡を次いで当然だからですか、医者になれば地位や名誉や収入までが得られるからですか、それとも医者になって病気と戦い、病に苦しむ人々を救う社会貢献の素晴らしさを教えるためだったのでしょうか・・・?

仮に、彼の父親に本当に彼を想う気持ちがあったなら、彼に対して、本当の人間の本質について話し合う機会が作れただろうにと思う今日この頃です。

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